戦争と茶畑

富士山のめぐみ茶ん

2011年12月07日 23:03

先日、息子Nが 学校の宿題で おばあちゃんに戦争の話を聞きに行きたいと言いだしました。

おばあちゃんとは、私の祖母のことで 大正5年生まれの95歳です。

私の実家は、明治時代から続いているお茶屋なんですが…
昔は 機械なんてないので、農家が持ち込んだ生葉を買って
住み込みで雇ったお茶師さんに揉んでもらっていた時代です。

昭和時代には、実家には製茶機械がありませんでしたが、
近くのお茶工場で荒茶を作ってもらい、
仕上げを行って小売をしていたそうです。

春はお茶の仕事。
夏には、”蚊帳”づくり。
蚊帳の注文が多い時には、近所の奥様に縫い仕事を
手伝ってもらっていたとか。

太平洋戦争で、日本は食糧難になりました。
近隣の茶畑は、みんなつぶしてしまい、野菜や粟などを
育てたそうです。
お茶屋にお嫁入りしてきた祖母も、大家族を支えるため、
親戚とともにお茶畑をつぶして さつま芋などを植えたそうです。

配給のお米は 1日一人1合。
そこに大ザルいっぱいの野菜を入れておじやに。
もしくは、小麦粉団子を作ってすいとんに。

食べ物がなんとか行きわたるようになっても、
つぶしたお茶畑は、すぐには元に戻りませんね。
しかも、戦争中 荒茶を作ってもらっていたお茶工場に、
爆弾が落ち 製茶できない状態になったそうです。

仕方なく、お茶を仕入れるために、浜名湖のしらすや缶詰を買って
汽車に乗って川根まで行ったそうです。
物々交換でお茶を仕入れて帰ったとのこと。

なんだか、遠い昔の話のようですが、祖母が体験してきたという話です。。

「いろんなことがあったよ」と笑いながら話していましたが
戦争の中、6人も子供を産んで育ててきた人です。



 



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